三陸沿岸の起業者・事業者様の商品の魅力を引出し、全国の企業・事業者様との橋渡しによる販路開拓支援を通じて、被災地の生業づくりや起業を力強く支えてゆきます。

提案者のメッセージ 合同会社釜石マダムミコ工房

商品導入事例・お取引を検討される皆様へお願い

岩手県釜石市はかつては東北の一大工業都市でした!そんな時代に釜石に生まれました。
オシャレで洗練された港町の復興!あらためて釜石ファッションを発信いたします!

被災地も日本も元気になる【大漁リバーシブルアロハ】など
大漁シリーズを生産いたします。
制服としてのご発注やOEM生産をご検討ください。

【ご購入例】
・市内商店街様 大漁はっぴ10着
・シンガポール 高級日本食レストラン様 制服用に 大漁はっぴ4着
・結婚祝いや還暦祝いなどに、個人のお客様が多数ご利用されています。

大漁はっぴ
高技術を生かした着物リメイク商品のトータルファッション企画制作を
一括して行います。
御社の商品として高級な着物リメイク商品を販売しませんか。
着物と売り場は御社がご用意ください。商品作成はお任せください。

【プロジェクト事例】
・神奈川県相模原市「AKAZA」による復興支援プロジェクト「ふくのわ」向けに
 洋服など28点の作品を制作いたしました。

着物リメイク商品
養蚕を復興し未来の大きな柱になる【箱崎絹織物】に
取り組みたいと思っています。
まだ手をつけていない事業です。
カンボジア国プノンペン市の職業訓練所で絹織物製品の作成と店舗開設の指導をいたしました。
現在は大きな事業者になっています。
カンボジアの技術者に指導依頼ができます。

【お願い】
被災地箱崎町で絹織物のプロジェクトに大きく関わっていただけませんか。
イメージ段階です。
・桑畑になる土地を購入し、桑の生産をさせてください。
・絹織物ができるまでサンプル購入をお願いします。
・製品化後は御社の商品と弊社の商品と二路線で独自なもの作りをしていきたいと思っています。

養蚕を復興

提案者のプロフィール

  1. 東北の一大工業都市だった釜石に生まれる。
    仙台の洋裁学校を卒業した箱崎町出身の母は5人の子供の服を手作りしたので幼少よりオシャレに関心を持つ。
  2. 新日鉄釜石に勤務する父の転勤で愛知県に引っ越す。
  3. ファッションと洋裁を学ぶため新宿の文化服装学院に3年間学び、この時期より東京が生活のベースと変化する。
  4. 卒業後イトキン株式会社にデザイナーパタンナーとして勤務するが、顧客があったので、数年で退社
    個人のアトリエを開きオートクチュールで注文服を13年作成する。
  5. 高度成長期の高級服作りは楽しかったが、途上国の貧困にも疑問を持っていた。
    38歳でも青年海外協力隊に応募できることを知り、多少とも技術が役立つのではと思いカンボジア国へ出発。
  6. 協力隊員として2年間のカンボジア国プノンペン市職業訓練所のインストラクターとして、市内の家庭科教師に技術指導し、時間が余ったので、訓練所のオリジナル商品開発と直営店舗を開設指導した。訓練所の事業は発展しその縁で、その後も今日に至るまで20年間カンボジアとのつながりがある。
    プノンペン市職業訓練所にて家庭科教師にパターン指導
    プノンペン市職業訓練所にて家庭科教師にパターン指導
  7. 帰国後、繊維製品のコントロールが主な業務の会社に6年間勤務し、そのうち4年間は、上海にある自社縫製工場の品質管理責任者として従事する。日本のファッション製品が中国で生産される現場を私自身が作ってきた。
    上海時代業務中の写真がないため、社員旅行のスナップ
    上海時代業務中の写真がないため、社員旅行のスナップ
  8. 国際協力の仕事があきらめられず、シニアボランティアとして中東のチュニジア国繊維センターに派遣。
    ヨーロッパの縫製工場だったチュニジア繊維業界の企画力を高めるというミッションだったが、センターに勤務する同僚は大卒でプライドが高く、ヨーロッパと同等の意識があることで、むしろ技術移転は困難だった。
    相手が望まない技術移転はできないことや、宗教の違いによる価値観生き方の違いを多く学んだ。

    チュニジア時代の研修生
    チュニジア時代の研修生
  9. 帰国後は東京にて洋裁教室「洋裁くらぶ」とオートクチュールのアトリエを開設
  10. 2011年3月東日本大震災が発生、津波により、母の出身地の箱崎町が壊滅的な被害をうけ、親類も犠牲になる。
    釜石に服飾工房設立を決意する。
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